宮古島

  宮古群島は大小8つの島(宮古島・伊良部島・下地島・池間島・来間島・大神島・多良間島・水納島)からなり、その中でも最大の宮古島は70%を占め、群島の中心となっています。2005年10月1日、平良市と城辺町、伊良部町、上野村、下地町の宮古地区一市三町一村が合併し、宮古島市が誕生しました。人口は約五万六千人となり、県内八番目で、面積は四番目の離島最大規模の市となりました。
   宮古島は沖縄本島から南西約300km、飛行機で約45分の距離にあります。島全体がほぼ平坦で、さとうきび畑が広がっています。変化に富んだ美しい海岸線と白い砂浜、発達した珊瑚礁など、豊かな自然景観に恵まれています。特に、島の至る所にある美しいビーチの大半は人影がまばらで、ほとんど手つかずの海がそこにあります。エメラルドグリーンからコバルトブルーへと変化するグラデーションの海は、そこを訪れる人の心を癒してくれると同時に、シュノーケリングやダイビング等のマリンスポーツの絶好のポイントにもなっています。
 珊瑚礁の海では、サンゴやウニで足をケガしやすいので、マリンブーツを履いたほうが安全です。また、サンゴや熱帯魚を観賞するには、シュノーケルやライフジャケットが必要です。フィンはサンゴを傷つけるので、浅いところでは使用しないようにしましょう。島は日射しがとても強いので、泳ぐときは長袖のラッシュガードかTシャツを着用し、日焼け止めを塗りましょう。肌を露出しすぎると、後でヤケドのような状態になって苦しむことになります。
  シュノーケリングのポイントとして近年すごい人気なっている吉野海岸は、駐車スペースも見つからないくらい人が押し寄せて来るようになったので、今回は行きませんでした。他にも隠れたビーチがたくさんありますので、海に出られそうな道を見つけたら中へ入ってみましょう。宮古島にはハブはいませんので心配はいりません。
 宮古島の魅力は、美しい海は当然ですが、独自の文化に育まれた風土、美味しい郷土料理、飾りっ気がなく、素朴で気さくな地元の人々の心の温かさです。
 今回の宮古行きは、「ちゅら海、ちゅら島」のコーナーに、自分のルーツとなる島が未だ登場していないことへのこだわりから決まりました。実は私は、伊良部島の佐良浜で生を受け、宮古島の平良市で2〜3歳まで育ちました。これまで幾度となく島へ帰省はしているのですが、画像に収めているのが少なく、今回の取材の旅となりました。
 2006年6月23日から25日にかけて、宮古へ行く機会がありました。梅雨明け直後ということもあり、好天に恵まれ、ちゅら島の写真がたくさん撮れましたので追加します。
砂山ビーチ
  砂山ビーチは午前中に行くと綺麗だと言われていますが、その理由は、太陽の光線を背中に受けて海を見ると、光が中まで入って透き通って見えるからです。だから、写真を撮るなら西海岸は午前中が、東海岸は午後が綺麗に撮れます。今回は朝一番で行きましたので、先客は一組だけで、人影もなく、海の色が本当に美しく、感動的な景観の写真が撮れました。

 
西平安名崎
   ここから見る池間大橋と池間島は絶景で、美しい海や行き交う船を見渡せます。 
比嘉ロードパーク
 絶壁の上から見る海岸は透き通っていて、とてもきれいでした。鎮座しているシーサーは迫力がありました。

 
新城海岸
  今回満潮時だったため、波打ち際は少し濁りがあって透明度が悪かったのですが、大きなコウイカに出会って、しばらく観察することができました。少し沖合に行くとサンゴもあって、色とりどりの熱帯魚もその周りにいます。トイレとシャワーがあるので、地元の人たちにも人気の海水浴・シュノーケリングポイントです。

 

東平安名崎
  東平安名崎の付け根、道路の色がコーラル色に変わる手前を左折してすぐのところに岬を一望できる撮影スポットがあります。宮古島の最東端で、紺碧の海に2kmにわたって突き出した向かって左手が東シナ海、右手が太平洋と雄大な景観の美しい岬で、日本百景の一つに数えられています。県の天然記念物「天ノ梅」の群生におおわれ、春には一面にテッポウユリが咲き乱れます。
  
イムギャーマリンガーデン
  美しい海岸線の岩場と入り江を利用した遊歩道や多目的広場があり、波も静かなので体験ダイビングの練習場として人気のポイントです。
 
上野ドイツ文化村
  ドイツ商船遭難救助とドイツ皇帝からの感謝にちなんで上野村に作られています。
与那覇前浜ビーチ
  「東洋一の白い砂浜」がキャッチフレーズのビーチで、真っ白い砂浜と美しい海が延々と7キロも続き、ビーチリゾートとしては随一の環境です。いろいろなマリンスポーツが楽しめ、夕陽の美しいスポットとしても人気があります。有名な「全日本トライアスロン宮古島大会」のスイム、スタート、ゴール地点にもなっています。
人頭税石
 
 1609年、薩摩の琉球侵略の結果、琉球王府は財政に窮乏し、その対策として宮古・八重山の両地方に1637年から人頭税を課しました。人頭税石は高さ1.43mの石柱で、男女15〜50歳までを対象に、この石の高さ以上の背丈になると税が課せられ、男は粟、女は宮古上布の納付が義務づけられました。この悪税は明治になっても続き、帝国議会への直接請願の結果、1903年になってようやく廃止されました。
仲宗根豊見親の墓
  1500年頃に、宮古を統治したという仲宗根豊見親の墓です。豊見親は「とぅいみいや」と発音し、「名高き親」という意味です。当時の石造建築技術の高さと、豊見親の権力の大きさを象徴する貴重な史跡です。1956年2月県指定文化財・1993年4月国指定文化財になりました。
漲水御嶽
   里帰りの挨拶と旅行安全祈願をしてきました。  


宮古空港
   新装の空港ターミナルビルです。